私が開業した理由
はじめに
私が開業した理由は、独立開業する人が良く挙げるような、収入を増やしたいとか、資格を生かしたいとか、儲けてやろうと言った理由ではありません。
むしろ、やむにやまれず、やむを得ず、といったところです。
すったもんだもありました。
でも今は、しっかりと、前を向いて生きています。
これまでの、そんなこんなを、まとめてみました。
もし、よろしければ、ご覧ください。
そして、このつたない経験が、少しでも皆様のお役にたてば、とても嬉しく思います。
0.前置き
私の母は、脳梗塞で寝たきりでした。
勤め人だった私が実家に帰るのは、年に数回。
入院先へ見舞いに行き、ベッドの上でぼんやりとあらぬ方向を眺めている母の手を握り、目を合わせ、声を掛けていると、少ししてから視線がはっきりしてきます。ちょっと泣き顔になったりもします。手も握り返してくれます。
でも、それ以上は、反応が・・・ありません。
今からでも、何かできることはないかと思い、ヘルパー2級講座を受けました。
母を外に連れ出すために、車椅子で乗せられる福祉仕様車のラクティスを買いました。
でも、その後、ラクティスに母が乗ることはありませんでした。
私がこの仕事を選んだ根底には、母の介護ができなかったと言う想いがあるのだと、後に、気付きました。
1.発端
私が開業に踏み出した発端は、もっと収入を上げたいとか、資格を生かしたいとか、儲けてやろうと言った理由ではありません。
いわゆる、スピンアウト組です。
当時、勤務先は不況で傾いていて、回りはみんな疑心暗鬼になっていました。
私も、執拗な嫌がらせを受け、うつでデイサービスに通ったりもしました。
(後に、この経験は、精神疾患(うつ、統合失調症など)や認知症の方と接するのに、役に立ちました。「禍福は、あざなえる縄のごとし」です。)
このまま、こんな酷い職場環境に居て良いのか? 自問自答を繰り返しました。
劣悪な職場環境でも、労働基準法を盾にすれば、定年までは居られる。
できなくはない、とは思いました。
小学校の頃の通知表の評価は、決まって、「がまんづよい」。
法的な知識はありましたし、必要な資料も揃えました。耐え抜く力はありました。
でも、そうした環境で、定年までの十何年を過ごすのって、楽しいのか?
それよりも、自分自身で、より良い環境を作り出して行く方が、自分自身が納得できる人生を送ることができる。
たとえそれが、いばらの道で、困難な道であったとしても、自分で選んだ道なら納得できる。
そうした方が、自分のためになる、ひいては、人のためになり、地域のためになる。
そう考えました。
自分のできること、したいことをしよう。
独立自尊の精神が、頭をもたげます。
そうして、私は、独立開業に踏み出しました。
2.選択
行先
では、何をするか。
社会人になって以来、勤め人だった私は、ここで、はて、と思い悩みます。
まず考えたのは地元「柏」での開業。
何かするのであれば、生まれ育った愛着のある地元「柏」での地域密着型、自分のできることで地域に貢献したい。
次に、業種。
エンジニアとしてのキャリアを考えると、コンサルタント?
でも、人に説教を垂れる柄ではないし、どうしても勤め人の選択肢ばかりになります。
でも、勤め人だと働く環境は選べない・・・。
困ったとき、手元に、ヘルパーの資格がありました。
この資格を取った時のヘルパー講座は、自分の意外な社交性に気付かせてくれました。
「豊重さん、ほめるの上手ね。」
コミュニケーションの練習の時、講座の同期の方に嬉しそうに言われて、驚いたのを覚えています。
口下手な私が、ほめ上手??
今まで、考えてもみませんでしたが、この仕事、案外自分に向いているのかな?
その時、そんな風に感じたことを思い出しました。
今思えば、ベッドの上の母への声掛けが、役に立っていたのかも知れません。
配食サービス、ニコニコキッチンとの出会い
では、これをどう生かすか?
直接介護なら、デイサービス? でも、ちょっとそこまでは元手が足りないかなあ。と考えていた時に出会ったのが配食サービスでした。いわゆる高齢者向けの宅配弁当です。
あ、これならできるかな。
とは言え、食に関しては、全くの素人。
素人にも教えてくれるフランチャイズを探して、理念が自分により近い「ニコニコキッチン」を選びました。
配食サービスと言っても色々です。
「右肩上がりだよ。」と、数量を誇る他のフランチャイズに比べて、価格はやや高めだけれど、その分、ひとり一人の利用者に向き合って、きめ細かく対応している。
数が出て儲けが出るのは、とても魅力的でした。でもそれでは、地域密着志向とかけ離れてしまいます。
地域貢献を掲げるなら、ひとり一人の利用者と真剣に向き合っていけるところにしよう。そう考えました。
ニコニコキッチンは、個々の利用者に、きちんと対応をしています。
他の宅配弁当と比べて、価格は少し高いけれど、それ以上に、利用される方々のことを最もよく想っている配食サービスだと感じました。
3.準備
さて、フランチャイズ契約をして、開業日も2011年4月20日と決まり、開業準備です。
まず、店の理念を決めました。
「安心と安全を笑顔でお届けする」
地域への想いは、言葉では言い尽くせないほど、あります。でも、沢山の言葉を連ねるよりも、誰にでもわかりやすい言葉を選びました。
そして、短期間に、たくさんのマニュアルを読み、その間に、備品を探して走り回りました。
そんな中、起こったのが、2011年3月11日の東日本大震災です。
私は、ちょうど店舗前のコンビニの駐車場に車を止めたところでした。大きな縦揺れで、最初はエンジントラブルかと思いましたが、周りを見渡しても、何もかもが揺れている。そこで初めて、地震と気づきました。
振り向いて、改築中の店舗に向かいました。作業員は驚いて外に避難していましたが、怪我人もなく、建屋も全く被害なし。
すぐに、家族とフランチャイズに、短いメールを送り、無事を連絡しました。
-店舗は重量鉄骨建てで、地震に強い構造です。ガスはプロパンガス。あとのインフラは、発電機と貯水があれば、多少の期間なら、しのいでいける。-
これらは、あとで気付いたことですが、この店は「天災に強い」。偶然ですが、幸運でした。
4.開業1年目
柏地域と繋がりがない!
地元柏で、と思って始めたのに、勤め人で他所で働いていた私には、生まれ育った地元柏と言っても知り合いがいません。
中学校から越境で都内に通っていたため、ご近所の方さえ、顔も覚えていない。
まずは、ご近所のあいさつ回りからでした。
そして、地元柏での繋がりを探し、柏地域の情報を探し廻りました。
人との繋がりを求めて、町会、商工会、商店会、イベントに勉強会、忙しい業務の合間を縫って、とにかく色んなところに顔を出しました。
見つけた情報は、必要とする方に届くようにと、開業2ケ月目でホームページ開設、ブログで情報発進も始めました。
「地道な活動、やってて良かった~」と思えたのは、だいぶ後からのことです。開店当時は、とにかく必要だと思って、無我夢中で取り組んでいました。
店がうまく回らない!
フランチャイズだから、マニュアル通りにすれば、何とかなると思っていたのが、そもそもの大間違い、経営者としては、甘ちゃんでした。
はじめてのこと、わからないことだらけ、でした。まず何をしてよいかが判らない。次にどうすればよいかが判らない。
何とか考えて、初めてみたら、複雑になりすぎて、疲れてしまう。
上手く店が回せるようになったと思ったことも何度かありましたが、時間は掛かるばかり。出費はかさむばかり。
営業に出ても、時間ばかり掛かって、店の説明もうまくできない。変な奴が来たと思われていたんじゃないかと思います。
収支も上がったり下がったりの繰り返しで、なかなか右肩上がりとは、なりません。
開業1年目は、効率が悪い→疲れる→さらに効率が悪くなる→さらに疲れる、悪循環の繰り返しでした。
でも、それからが大変でした。ほどなくして、ガソリンが減ってきました。移動手段が限られるので、なかなか備品調達もできません。
車の使用は最小限にし、細かな備品の買い出しは、自転車で走り回り、何とか開業にこぎつけました。
5.見直し
開業から半年が過ぎ、「これではいかん。他の店は、いったいどうやってんの?」と思い、強引に時間を割いて、他店の見学に出向きました。
そこで目にしたもの耳にしたことは、考え方、問題点、解決方法、店の回し方、まるで違っていました。
驚いた私は、自分が仕事のやり方を、根本的に間違えていたと悟ります。
考え抜いた末、単純な一つの結論に達しました。
「フランチャイズに頼りすぎ。」
改善すべき点は2つ。
1) 効率が悪すぎる。
2) 最も大事な、利用者目線、介護者目線、ケアマネ目線が足りない。介護する側とされる側の想いを判っていない。
1つめは、見たこと聞いたことを元にして、ひとりQC活動です。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」 まず判らないことは聞く。
また、情報は、出来るだけ複数のところから得て、取捨選択をする。
そうして、得たヒントから、ひとつ一つの作業を見直し、少しずつ、少しずつ、効率化を進めました。
効率化が進んでくると、今度は、少しずつ、少しずつ、考える時間を取れるようになりました。
考える時間が取れると、改善点が見えてきます。
このようにして、効率化を進め、行き当たりばったりだった初期のやり方から、方向転換していきました。
2つめは、3冊の本が転機となりました。
1冊目は、くさか里樹著「ヘルプマン」
ブログの2011年11月27日の記事でご紹介しています。
読み始めた頃は、自分もちょっとは、ヘルプマンしてるかな? などと自惚れておりました。
でも、読み進めるうちに、自分はヘルプマンを補助することさえ満足にできていない、と思い始めました。
ご利用者が必要としていることは何か、介護者やケアマネが必要としていることは何か。
ご利用者は、どうして欲しいのか、介護者はどうして欲しいのか、ケアマネはどうして欲しいのか。
それぞれの事情、置かれた環境などによって、千差万別、個人個人で、皆、違います。
正解など、無いのかも知れません。
でも、それらに対して、自分は何ができるのか。考え直す良い機会となりました。
2冊目は、中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」
ブログの2012年4月10日の記事でご紹介しています。
著者は、現役の医師。
タイトルだけで激怒する方もいらっしゃるかも知れませんが、私の死生観を変えた一冊。
一押しです。
3冊目は、六車由実著「驚きの介護民俗学」
ブログの2012年5月20日の記事でご紹介しています。
著者は、民俗研究者、かつ、介護職員という観点で、介護を見つめています。
この本の終章で、著者に浴びせられたという、知り合いの介護士からの批判に、私もショックを受けました。
話を聞くことが介護なの? 私は長い間ヘルパーをしてきたけれど、じいちゃん、ばあちゃんはみんな話したくてたまらないのよ。それで延々と話をしてくるの。でもね、そんなことを本気で聞いていたら仕事がまわらないじゃない。だから適当にあしらうの。それに結構重たいこと話したりするのよ。でもそんなの聞いて気持ちが滅入ったら次の仕事ができないでしょ。だから、私はその人の家を出たら全部忘れるようにしていたのよ。
著者は、その言葉に愕然とするとともに、自らが同じ状況に陥っていることに気付きます。
この3冊の本から、学んだことは、利用者の想い、介護者の想い。そして、介護する側とされる側の想い。
6.ぶれない軸
配食サービスのフランチャイズ募集の言葉に、“ありがとうと言われるお仕事です”があります。
私も、開業の頃は、「そうだよなあ、喜んで貰えることなんだ。」くらいにしか受け止めていませんでした。
ただ単純に、配食サービスは、喜んで貰えることだと、信じ込み、相手のことも考えずに、余計なおせっかいを、多々していたように思います。
そこで出会った3冊の本は、驚きとともに、私の進む方向を示唆してくれました。
今の私には、絶対にぶれない軸があります。
原点に立ち返り、自分の軸として定めたものです。
それは、単純なことですが、
「利用される方々、介護にあたる方々、それぞれの視点に立って考える。」
ということ。
もちろん、私は、その方々自身ではありませんので、至らない点、まだまだたくさんあると思います。
でも、
「このお弁当屋さんに、来て貰いたい」
そう想って頂ける、“お弁当屋さん”になれるように、日々考え、研鑽し、走り回っています。
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